60歳    高齢で死去した祖母の葬儀は「家族葬」で行いました、 

高齢で死去した祖母の葬儀は「家族葬」で行いました、 

90歳近くになった祖母を無くして「家族葬」の葬儀を行いました。
葬儀の手順としては、亡くなった病院で医師の死亡診断をうけてから、其の晩は遺体を自宅まで運んで、自宅で仮通夜を行ないました。 その間に葬儀に関する色々なことを取り決めましたが、まずは身近な人への連絡と同時に、市役所へ死亡の通知(死亡届)と火葬場の日にち、時間の手配、其れに当然葬儀社への葬儀準備の手配、費用と葬儀場の手配、など行いました。 葬儀社は加入している農協関係のところであり費用も安く抑えられ、葬儀場は葬儀社の提携している所で近所のところに有ったことで幸いしました。

次には、お坊さんやお寺の手配ですが、我が家では先祖伝来のお寺は東北の田舎に菩提寺がありますので、地元の同じ宗派の僧侶を手配しましたが、その際、本通夜と本葬儀のさ際の読経をおねがいしたのです。 その後、仮通夜から本通夜、本葬儀、其れに火葬場までと、一連の流れで一周忌までを合せて行いました。

ところで、葬儀と告別式についてですが始めは、一般葬もなども考えましたが、葬議場の係員の話だと、やはり金額的には家族単位になって小規模のなるため、金額的には人数によってきまりますがやはり低予算でできるということです。 ただ、祭壇やお飾りについても実際に世間で言われているようにそんなに差異は無いといわれますし、結局は低予算で行える一応は「家族葬」と言う形にしました。 その後、一週間ほど過ぎて檀家寺である地元のお寺に、僧侶にお経を詠んでもらいながら、代々の墓地へ埋葬しました。

尚、我が家では「家族葬」という形で行いましたが、一般には葬儀は故人の友人や其の知人と最後のお別れをする儀式のことで、そして葬儀に続いて会葬者の人々が全員で火葬場まで見送るものでした。 しかし、今時では会葬者が火葬場までは行かないようになり、葬式と告別式がほぼ同時に行なわれますから、参列者は本葬儀に参加することが多くなっているようです。

ところで、現在の通夜や葬儀の形式についてですが、当方で行った家族や身内を中心に行った家族葬、即ち、密葬のような形式の他にも、世間で普通一般に行なわれるのは一般葬、そのほかにも偉い方や有名人などの特別葬、例えば市民葬や会社葬、などの特殊な葬儀も有るようです。

40歳男、家族葬だからこそ家族愛が感じれました!

私は今、現在40代男性なのですが去年、母親を亡くしました。まだ70歳と言う若さでした。母親は60歳と還暦になった頃ぐらいから体調を崩し、そしてやがて病気になりました。いわゆる癌でした。私は兄弟がいており、弟が一人います。弟は早くに結婚した為に子供も二人おり甥と姪がいます。私もまた結婚はしていたのですが子供はいなかった為に夫婦のみでした。そして、去年母親を亡くした際に私達は残された父親と私達夫婦と弟夫婦とその子供たちによる家族葬をしました。家族葬とはいえ、親戚などで葬儀に来たいと言う方たちなどには来ていただきました。家族葬と言うだけあって少人数の葬儀となりましたが、母親をしっかりと送ることが出来て本当に良かったです。元々、母親は亡くなる前から家族葬を求めており、そきて私達もその意志を通したのでした。会館をお借りし、そして葬儀屋さんに葬儀の進行を行って貰いしめやかに葬儀をすることが出来ました。家族葬とあって、特に細かなお焼香の順番なども決めずに済んだので、そういった面では昔と違い揉めるようなこともなく安心して葬儀を行うことが出来ました。勿論、また母親もそれを望んでいたと思います。火葬場では骨になってしまった母親を見たときは本当に悲しかったものです。もう、母親を2度と見ることが出来ないと思うと、物凄くやるせない気持ちが込み上げて来ました。そして、火葬も終わり再び会館へと戻ってきて、夜は家族のみで食事をしました。他人とは違い母親とあって誰も多くは語りませんでした。ただただみんな静かに食事を取っていました。本当に家族葬だからこそ、母親を思う気持ちをひとつにすることができ良かったと思っています。また、家族葬だからこそ改めて家族との絆や大切さなどを確認することにもなりました。以後、それからは母親の供養のたびに残った家族で時折集まることにもなりました。母親のおかげである意味また家族との絆も今後より深まっていくと思います。

33歳女 しっかりと最後のお別れができた

33歳女会社員です。私が30歳の頃のことでした。実は専門学校を卒業してからずっと地方で働いていて、30歳になったら地元に戻ってきたいという気持ちがありました。その思い通り、30歳になって地元に戻りました。新しい就職先でも最初はうまくいっていたのですが、体調不良で休職しそのまたた早期退職しました。しばらくして祖母が他界。タイミングをみたかのようにいきました。私は両親が共働きだったので、祖母に育てられたも同然。幼い頃から祖母とずっと一緒にいました。祖母は教養を受けたことがく、炭鉱出身で気性が荒い人でした。子どもである私に対して、子ども扱いせず衝突する日も多かったです。そんな祖母は、わたしたちとは一緒に暮らさず、祖母は一人で住んでいました。毎日祖母にお金を借りにくる人もいたり、祖母もわがままだったのでよく人の悪口を言っていたし、近所の人からよく思われていないのも知っていました。そんな祖母だったこともあり、祖母がなくなっての葬儀は、家族だけですることに決めました。祖母を知る人も早くになくなっており、親戚もよくわからなかったのも理由のひとつです。また、近所の人からよく思われていなかったこともあって、亡くなったことは未だに言っていませんし、新聞にも掲載しませんでした。ましてや、葬儀場の看板にも亡くなった方の名前を書くところがありますがそこにも書かないでくれとお願いして、異例ではありましたがひっそりと葬儀を行いました。普通の人から見たら「かわいそう」と思われる葬儀だったかもしれません。亡くなったことを誰にも知らせずに身内だけでお別れをしたこと。けれど、きっと祖母も“そうしてくれ”と言う気がして、家族だからこそわかるものがありました。祖母が息を引き取るときも、私たちが病院を去って寝静まった頃だったし、最後の最後まで心配かけたくないという気持ちがあったのだとわかりました。家族葬には、父と母、私と兄、母の姉妹の夫婦2組と父の兄弟夫婦1組が参列しました。祖母は炭鉱に勤めていたこともあり、しっかり貯金をしていたようで、じゅうぶんすぎるくらいの財産があり、葬儀も墓も祖母の貯金でまかなえました。広い会場で家族葬にはもったいなくも思いましたが、本当に祖母のことを思う人しか集まっていなかったので、あたたかい葬儀になりました。身内しかいない葬儀だったので、私も大声でなき遠慮することなく最後の言葉を掛けることができました。一人一人祈る時間も十分にあり、しっかりと最後のお別れができました。家族葬は、身内だけの小さな会にはなりますが、コンパクトで準備もしやすく、お別れもしっかりできると感じました。たくさんの人を呼んだからといって本当に故人が喜ぶかはわかりません。故人の人柄や、喜ぶことを考えるのが大切だと感じました。

47歳 男性 祖母の葬儀

40代男性です 98歳で祖母が亡くなった時に家族葬をしました。
家族葬を選んだ経緯ですが もともと長い事 病院で入院していて そのまま寝たきりになり
最終的にはアルツハイマーになっていました。
そういった祖母のような方は 高齢化社会ですし沢山いらっしゃると思いますが 終末期医療
または 介護の期間が長いと世の中での人間関係はほぼ無くなってしまいます。

祖母の兄弟も既に介護で動けず 頭もしっかりしては居ない中で 友人知人も既に他界しているか
寝たきりの状態なのです。

ですので家族葬を選びました。

お葬式自体は お寺にて頼みました。
お願いしたお寺では 49日までは 寺内の小さなお骨入れで毎日 お経を唱えてくださいます。
そして それ以降に実家のお墓に入る事になります。

個人的な感想ですが とても良かったと思いました。
最後のお別れとして 大きなお葬式も立派なものだと思います。
しかし 今回のような家族葬では 皆が祖母をよく知っている血縁です 付き合いで出席している
方は誰もいませんので 常に生前の祖母の事を話していました。
それは 最後のお別れとしてとても和やかな平和な葬儀だったと思います。
そして 私の番が回ってきたときもその方がいいなと思います。

そして葬儀場に勤めている知人がいうには 最近の葬儀の多くが家族葬になっていると聞きました。
多分 皆さん 感じている事は似ているのかもしれませんね。

最後のお別れの時 沢山の人に囲まれ 家族は 出席してくださっている方々への配慮に常に気を
配り続け葬儀が終わるころにはやっはり疲れてしまう。
どちらがどうとゆう事ではなく家族葬は寂しいイメージもあるかもしれませんが 故人との最後の
お別れとしてゆっくりと気が進む中でお別れをすることが出来ます。

子供のころ 夏の暑い日に祖母に手をつないでもらい買い物に行った日の思いは今も残っています
厳しく叱られたことも思い出として残っています。

最後に 祖母としても喜んでくれたのではないかと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

10代女 祖父の家族葬について

初めまして。私は10代の学生です。
10年以上前に祖母が亡くなりました。心臓病で60代というまだ早い死でした。
正直、私は幼かったので祖母の記憶は断片的にしかありません。それでも優しく愛情深い人だったのを覚えています。
祖母は家族葬ではなく葬儀は仕事関係の方や兼ねてから親交があった方などが参列し祖母を見送りました。それから数年後祖父が亡くなりました。自殺でした。
祖母のことを大変愛していた祖父は祖母の死に悲しみに暮れて最後は鬱状態になり自らの命を絶ちました。自殺ということもあり、家族葬で祖父を見送りました。その時も小学生高学年だった私は家族葬の意味や、自殺についてなど詳しいことはよくわかっていませんでした。ですが、何故祖母の時はたくさん人がきたのに祖父の時は家族だけなんだろうと純粋に疑問だったのを覚えています。今思い返せば、自殺だからといって家族葬にしなければならないのかという疑念があります。確かに、自ら命を絶ったわけですがきっと最後に会いたい人が祖父にもいたはずで、祖父に会いたかった人もいたはずなのです。その機会を設けて上げられなかったことは後悔しています。どんな理由があれ、大切な人を失った直後は気持ちが不安定ですし身内だけで送り出そうという決断に至ってしまうのも分かります。ですが、後々にやはり家族葬にするべきではなかったのかもしれない。と後悔する方も少なくないと思います。もう会えない故人とのお別れが悔いのあるものとなってしまうのは実に悲しいことです。家族葬に決める前に本当にこの選択で後悔しないのか、もう一度よく考え直すのも大切だと思います。当たり前ですが、お葬式というものは一生に一度しかない永遠のお別れなのです。故人にとっても故人を大切に思っている人にとっても今までの思い出に浸り別れを惜しみ感謝を述べられる場を作ることが、遺された人々の使命だと私は思います。家族葬にすること、もう一度よくご家族で話し合ってはいかがでしょうか?

57歳女 母が亡くなり家族葬二に 家族の愛に見送られて

私は東京在住の50代の主婦です。11年前に同居していた母を病気で亡くしました。私の母はもともと新潟に住んでいましたが、父を介護の末亡くしてからは気落ちして、一人にしておけなくなり、話し合って孫たちのいる我が家に上京することになったのが同居の始まりでした。私には当時まだ手のかかる子供たちが2人おり、母に同居してもらうのは正直本当に心強く、お互いのために良いと思い、迷わず来てもらいました。母は、色々なことによく気の付く人で、父と会社を経営していたこともあって、顔見知りでない人にも丁寧にソフトに対応できるタイプでした。ゆえに、知らない土地でもちゃんとやっていける人だという確信が私にもありましたし、孫もいるから気も紛れていたようでした。上京した当初上の女の子は幼稚園の年中、下の男の子は乳飲み子でしたから、私としてはいくらでも手助けの欲しい時だったのです。私は上の子の幼稚園の送り迎えなど、幼稚園の活動でばたばたしていたので、下の子はほとんど母にお任せ状態でした。それこそ、我が子のように一生懸命育ててくれました。お話することが大好きだった上の娘は聞き上手でほめ上手なお祖母ちゃんが大好き。幼稚園や学校から帰るとまずはお祖母ちゃんに「あのね、今日ね・・・」と目を輝かせてお話していたものでした。母も嬉しそうにニコニコしながら聞いていた顔はいまだに忘れられません。下の男の子も、段々動き回る年齢になってきても、大好きだった「働く車」のビデオや「童話」のビデオを見る時はお祖母ちゃんと一緒に、一緒に歌ったりお話したりと・・・ずいぶん母も大変だったろうな、と思っていると決まって母が口にしていた言葉が「お父さんがいなくなった後の人生はあなたたちのために使いたい」という言葉でした。旅行でも習い事でもなく、それこそ、わたしたちだけのために時間を使いたいと。胸がつぶれそうな思いに駆られながらも、それならそれで家族で精いっぱい楽しもう、という発想に変えました。家族で外食したり、家族で旅行したり、幼稚園や学校の行事にも参加したり。こういう環境の中で育った子供たちです。母が病気で亡くなった時には一言では言い表せない悲しみの中に突き落とされました。しかし、わたしたちだけのために最後の時間を過ごしてくれた母に安らかに逝ってもらうために今度は家族でしてあげられる送り方をしてあげよう、ということから「家族葬」の選択に至ったのです。後悔はありません。無駄なく、家族のために生きた人には家族だけの暖かい雰囲気の中で送るのが一番でしたから。弔慰金を頂いた親戚には後日報告方々会食の場を設けましたが、送るときは家族だけで思いっきり泣き、思い出話が出来最高だったと思っています。これからは形にこだわらない家族だけの葬式は時代にあっているのではないかと思うのです。

60代男性 母を家族葬で送り家族葬の良さを知りました

サラリーマンを60歳で定年退職し、その後はライティングの仕事等で小遣い稼ぎをしている年金生活者です。3年前の66歳になった頃、母が他界しました。93歳で、天寿を全うしたと言えます。
介護老人ホームに3年程入居していましたが、足腰が弱って車椅子を使っていましたが、年齢相応の認知症傾向はあったものの、私達兄弟やその連れあいの顔を忘れると言った事はなく、比較的元気に生活していました。
しかし、ノロウイルスに感染して提携先の病院に入院しましたが、吐しゃ物を誤嚥しての誤嚥性肺炎で急になくなりました。
通夜・葬儀はすでに10年ほど前に亡くなった父の経験もあり、特に慌てる事はありませんでしたが、どこで葬儀を営むかでは若干悩みました。
父が亡くなった時には兄弟3人とも現役で勤務しており、私達の会社関係の参列者が多数訪れる事が予測されたので、一般の葬儀会館で葬儀を営む事にしました。
母に代わって、葬儀の打ち合わせから支払いまでを行いましたが、その金額の高額な事には改めて驚かされたものです。そうした体験と母の親戚や友人の多くはすでに他界し、参列者は子供・孫・曾孫が中心となるので、家族葬専用会館で営む事にしました。
通夜・葬儀は一般の葬儀と何ら変わらず、親族中心の20数名の参列者と小規模なだけの違いでした。こうして無事に葬儀を終える事が出来、家族葬も親族だけでしめやかに送る事が出来、良いものだと感じました。
ただ一転残念なのは、ご近所の10名程度の方が参列を希望されていたものをお受けできず、後日仏前にお参り頂いた事です。
後で知った事ですが、家族葬会館でもご近所の方に、通夜の後にご遺体と対面し、花を手向けるお別れ会の様な場を設定できると言う事です。会場の大きさの制約から、通夜・葬儀の儀式には参列頂けませんが、通夜後のお別れ会でご遺体と対面して頂け、私達が弔問を受ける事が出来たのです。
こうしたお別れの会は、家族葬会館によって対応が異なりますが、家族葬を営まれる場合には、こうした事が可能かを確認され、必要に応じて利用されると良いと思います。

40歳男 母が亡くなりショックだがやる事多くて更に疲労感

現在1人暮らしの40歳男です。2人半程前に母親が病気のため、他界しまして。突然でした。前々日まで普通に会話をしていたのです。
家族は結婚した姉しかいません。頼れる叔父にも連絡はしたのですが、自宅に自分以外に誰もいないのです。
こういう時にどういった形式の葬儀をするのか、姉も子どもがいて仕事もありとにかくイライラしているのです。この時感じたのは味方がいなくなったという失望感でした。
本来ならば自身が喪主を務めなければならないのですが、ショックのために眠れない日々が続いたため、姉にお任せしました。
とは言え、まずは事件性がないかどうかで警察にも調べてもらわないといけないし、死因を診断してもらうために5万円払わなければなりません。
とにかく急だったので、家族葬という形を取ろうという話しになりました。
ただここでも問題が…家族や親戚のみで行うものと認識していたのですが、親しい友人や近所の方も呼ぶという形式らしいのです。姉に聞けばイライラしてキレる。もう全てが嫌になってしまいました。
とにかく葬儀だけは無事に終わらせなければならない…その気持ちだけでした。実質告別式の1回のみの葬儀です。
結局葬儀前日も眠れずに当日を迎えました。フラフラしていたのと、知らない親戚がいましたが疲れるから話さないようにしてただ無事に終えることのみ考えていました。
葬儀そのものはさほど心労は無かったです。来てくださった方々にお礼を言っていたのは覚えています。
姉は私にイライラしていたのでしょう。最後自宅に納骨を置いた時点でキレました。この瞬間に1年はまともに話したくないと決めました。
後悔しているのは、自分自身が喪主にならなかったことです。段取りがわからないがために、余計に姉をイラつかせ、自分自身がどんどんとショックを受ける負のスパイラルです。そして相続という名の争続が起きます。
アドバイスがあるとすれば、いざという時のために遺影用の写真は用意しておく事、相続トラブルが起きないために、公証人役場で遺言証書を作成した方がいいでしょう。
思いの外手続き等やることも多いですが、家族葬をするならば誰まで呼ぶか(親戚まで、家族のみ)なども事前に決めておいた方がいざという時にトラブルは回避出来ます。

40歳 男性 家族葬に満足しています。

兵庫県在住の40歳の男です。今は介護職員をしています。
祖父、祖母の時に家族葬を行いました。

家族葬は安くで済むという点でよいと思います。
安かろう悪かろう、かもしれない、という気持ちがありましたが、そうではなかったので、私の母も私も家族葬にすると思います。

おそらく家族葬儀屋さんも競合がいるので、マナーなどをしっかり教えているんではないかと思います。
火葬場の方もきちんとたおやかに動かれておられました。

私は神戸在住ですが、祖父祖母は三重にいて、叔父叔母が面倒を見て下さっていました。

その三重の葬儀屋さんがどういう教育をしているのか、霊柩車の中で運転手さんに聞いてみましたが、社員に礼儀礼節、マナーなどはきっちり教えているとの事、残念なのは社員本人に自覚がないとか響かないなど浸透していない現状はあるとの事でした。

しかし祖父祖母の2回の葬儀で目立った点はありませんでした。

前職の管理者もガンで亡くなりましたが、その時の家族葬もきっちりしていて、葬儀に参列した私からも気になった点はありませんでした。

 父の時に大きな葬儀屋さんに頼んで兵庫県で葬儀を行いました。
その時は父の職場の方の予想をはるかに超える人数の方が葬儀に来て下さり亡父の業績や人望に感動しました。

 しかし、葬儀屋さんとのやり取りで少し、「そうするんだ。」とがっかりしてしまった点は霊柩車に父の遺体を運ぶ際に写真をどうするか、という事をスタッフの人に周知していなくすこし段取りがちぐはぐしてしまった時に、葬儀屋さんの上司が部下に叱責するシーンがありました。

 そこは無言で指示するなどして葬儀が終わってから言えばよいと感じました。そういう事もマナーとして特に葬儀は不幸事なので控える教育をして頂けたらな、と思いました。

人生の大きな転機、イベントでいうと結婚式もあります。
結婚式は祝い事なので少しぐらいの失敗やおふざけは許されますが、不幸事の葬儀では、不謹慎な行動をとってしまうと非常にマイナスイメージを与えてしまう事になりますのでよくよく気を付けた方がよいと思います。

亡き人を弔う気持ちを持って葬儀に臨めばよいと思います。
言葉にできなくても姿勢をみせればいいと思います。
父の葬儀の時に職場の同僚の方が私たち遺族に言葉をかけようとされた時に何度も言葉を発しようとされたのですが、嗚咽で何も言う事が出来なかった方がいらっしゃいました。

私にはその姿が亡き父を非常に慕ってくれていた事が伝わり涙が流れ落ちました。

 葬儀が始まる前に何宗かは確かめて一応の礼儀作法は抑えておいて下さい。

今はネットで調べられますしね。

総じて私は家族葬に満足しています。

30代女性、父の叔母の家族葬ーカラオケのフレーズが今でも

Rika、30代女性です。今日は数年前に父の叔母が亡くなった時の家族葬について書きたいと思います。
そのおばさんとはあまり面識はなかったのですが、幼いころの彼女のイメージは、働き者で男勝りなカッコいい人、という感じでした。彼女が体調を崩して入院したとき、ぞのイメージが崩れる感じに衰えていて、かわいそうだなと思ったのが最期です。今思えば、もう少し会っておけばよかったなあ、と思います。
入院して、たった数か月で亡くなってしまいました。人の命はあっけないな、と哀しくなったのを覚えています。
彼女の葬儀は最近ポピュラーな家族葬でした。山奥の会館を借りて、近い家族だけを呼んだこじんまりとしたものでした。
お葬式の当日、まず聞こえてきたのが、そのおばさんのカラオケの声でした。初めは、葬儀会場から流れてきている音だとは思わずに、何かの宣伝が聞こえているのかと思っていました。それくらい、音程がズレているので、思わず笑ってしまいました。このおばさん、カラオケが趣味で、よくお酒を飲んでは歌っていたみたいです。葬儀会場で不謹慎かもしれませんが、愉快な気持ちになりました。
会場の中には、おばさんが好きだった歌手の曲が流れていました。また、昔の写真がプロジェクターで流されていました。いい意味で、あまりお葬式らしくなかったのを覚えています。そこにいるみんなが昔話をして懐かしんだり、思い出を語り合ってなごやかな雰囲気でした。
そして終始、おばさんの調子っぱずれのカラオケの歌が聞こえていました。一番よくかかっていた「カサブランカ・グッバイ」が今も頭によぎることがあります。思い出すと、この人の人生は悪くなかったんだろうな、と変に思います。
この家族葬は、生前彼女が用意したものか、家族が準備したものかは分かりません。でも、昔ながらの葬儀よりもずっと心に残ったと感じます。お葬式をするなら家族葬がいい、と思っている方は、ぜひ事前に家族と話し合って、自分らしい最期の計画をしてみるのはどうでしょうか。印象に残ること間違いなしだと思います。