50歳女 家族葬に参列して考えさせられたこと

私は50代を迎えた主婦ですが、最近気になるのが高齢の両親のこと。70代後半になる両親はまだまだ元気ですが、先日姉の夫、つまり私にとっては義兄が亡くなり、葬儀の際に考えさせられることがありました。それは葬儀の形式について。一言で葬儀と言っても現在では様々な形式がありますが、義兄の葬儀は家族葬でした。今まで少なくても数十人、多い時には200人も参列するような一般的な葬儀にしか参列したことがなかったので、家族葬は初めてでした。この家族葬に参列したのは、家族と親族だけで20人ほど。温かみがある雰囲気の中、ゆっくりとお別れをすることができた葬儀になりました。
姉に「何故家族葬を選んだのか」を聞くと、生前の本人の希望だったそう。義兄は長く入院生活を送っており、自分の死期を把握していたこともあって、どのような形で最期を迎えたいか、どのような葬儀で見送ってほしいかについて、家族に詳しい希望を伝えていたそうです。しばらく仕事仲間やご近所との付き合いを絶っていることもあり、最期は本当に親しい人だけに見送ってもらいたいと話していたとのこと。また生前、義兄は自分の父親の葬儀の際に喪主となり、悲しむ暇もないくらい慌ただしく葬儀を執り行った経験があり、妻にそんな思いはさせたくないと家族葬を考えたそうです。残す家族に負担をかけたくないという思いから、葬儀にかかる費用面でもかなり抑えることができるのも、家族葬を選択するポイントになったようです。
この家族葬への参列を経験して、自分自身はもちろんですが、高齢の父母が自分の葬儀にどのような希望を持っているのかについて知っておく必要性を感じ、現在両親にエンディングノートを書いてもらっているところです。「縁起が悪い」「そんなことは考えたくない」「そのうちに」ではなく、残りの人生を前向きに生きるためにも、残される家族のためにも、葬儀の形式については考えるべきだと感じています。

50歳男性、母が亡くなり家族葬に、でも田舎なので・・・

母が亡くなったのは12年前の冬でした。享年64歳。
生体肝移植をしなければ、助からないと医師から宣言されていた肝硬変の末期です。私は死に目に逢えませんでしたが、姉の話だと苦しまずに息を引き取ったとのこと。唯一の救いです。
葬儀は家族と母の兄弟、孫達により、葬儀場ではなく、母が嫁いで40年余りの長きにわたって暮らした家で執り行いました。
戒名をつけなければならないので、近所の寺の住職にお願いしました。「お母さんはどういう人でしたか?」と聞かれたので、私は「太陽のような人でした」と答えました。そのせいか、戒名の中に「光」という字が入りました。少し嬉しかったです。
家族葬とはいえ、形の上でお通夜、告別式と2日間に渡って行います。お通夜を迎えるにあたって、必ずしなければならない最大のこと、それは母を棺桶に入れることです。それまで深く考えたこともありませんでしたが、棺桶は「この世」と「あの世」の境界にある存在であると思います。母を家族で抱えて棺桶に入れるその瞬間、大量の涙が溢れて、皆が号泣しました。名前を呼びかける伯母や伯父、嗚咽で言葉にならない言葉で叫ぶ、姉や私。たぶん残されたものにとっては最も辛い時間だと思います。
田舎ですので、ご近所にはすぐ話は広がります。告別式には隣家の方、母と仲良かった方が弔問に訪れてくださいました。そして気がつけば自治体のほとんどのお宅の方々が庭先にいらっしゃり、永遠の別れを惜しんでいるではありませんか。
告別式が終われば、最後は火葬場です。実は当初、火葬場が一番辛いのではと思っていたのですが、意外なことにそれほどでもなかったのです。棺桶に入った時点ですでにこの世の人ではないと悟り、自分に言い聞かせていたのかも知れません。火葬の儀式自体は淡々と進みました。2時間強だったかもう少しかかったか、とにかく遺骨になれば、母の面影はもうありません。骨壷に収めて母は小さくなりました。子どもにとって、母は偉大で特別な存在だったのだとつくづく思い知りました。
今までこれと言った親孝行をしたことはあまりなかったですが、旅立つ間際に1歳になる孫に何度も会わせてあげたことが、最大にして最後の孝行だったのかなと思います。

34歳男性 祖父の姉が亡くなり家族葬に 気楽に行えました。

34歳男性です。
3年前に、祖父の姉が亡くなった時のお話をします。

彼女は生活保護を受給しており、一人暮らしでした。
亡くなる時は施設のベッドの上でしたが、貯金もほとんどなかったため、その予算の範囲内、ということで家族葬になりました。

読経などもなく、身内の数人だけで見送りました。
顔見知りの身内だけということもあり、お坊さんに気を遣うこともなく、わりと気楽な葬式だったように記憶しています。

祖父はその時すでに他界しており、故人の同世代は祖母だけだったのですが、印象的なエピソードがあります。

遺体の隣の部屋で雑談をしている時に、お坊さんも呼べないのは何だか情けない、という意味のことを、祖母がポツリと洩らしたのです。
家族葬についてはhttps://woodbinemallevents.com/の体験談も参考になります。
自分は特定の信仰はありませんが、祖母の口からそのような前時代の価値観を告げられるのを聞いたとき、何ともいえない複雑な気分になったものです。

故人の想いを聞いたわけではありませんが、葬式とは一体誰のためにやるものなのか?という、漠然とした疑問もこの時浮かびました。

死んだものの霊魂をなぐさめるために行うものだ、という建前はあると思います。
しかし、それ以上に葬式とは、生き残ってる者たちの気が済むように行ってしかるべき、という言い分もあるのだと思います。
そうであるなら、故人と世代の近い祖母に、前もって相談しつつ、コトを進める方法もあったのかも知れません。

故人は特に、自らの死後のことについては何の方針も遺さなかったようなので、お坊さんを呼んで読経してもらわなくても、それは気にしていないと思います。(仮に霊魂というものがあるとするならば)

繰り返しますが、その時の故人の葬式は、個人的に気楽で好感の持てるものでした。自分が亡くなる時も、こんな感じで簡単に送り出してもらっても構わないとさえ思いました。

しかし、葬式というものが生きている者のために行うもの、という側面がある以上、前時代の価値観であろうとも、残された人たちの想いは尊重されなければならないでしょう。

まだ考えがまとまってないところはありますが、これからも葬式というものについて、考え続けなければならないな、と思います。

40 男性 なんとかしてあげたい

今は違うのですが当時両親は生活保護を受けていました。その関係上派手な事はできず、街の指導で火葬までやりました。生活保護は花などもかなり町の指導で、制約がされてしまっていました。自分は家が貧しかった事もありましょうが、両親を養えるだけの力はありませんでした。建前上、我が家は天理用という事でお経をあげないという事になっていましたが、実際はやはりあげたあげたかったというのがあります。(自分は信仰していません)

これまで母型の葬式などはかなりお金をかけたお葬式だった為に、それを考えると本当にこじんまりとした葬儀になってしまいました。父は働き者ではありましたが、景気の悪化から仕事が激減した事、あるいは糖尿病を患ってしまって様々な弊害がでてきました。自分も学費は自分で捻出しましたし、大学進学をあきらめざるをえません。そういう事もあり、田舎のところではろくな就職先もありませんでした。

しかしそうは言っても、最後の葬式くらいはしっかりしたものをやらせてあげたかったと思います。ようわからないのが、役所の人が見張りじゃないですが、葬儀の規模を確認しにやってきたようです。最後なのだから花ぐらいはいいじゃないかと抗議しましたが、しぶしぶOKしたようです。これは明らかに人権侵害のように思います。

自分も残念がながら、なかなか定職に着けない状態なのですが、お金を貯めしっかりとお経を唱えてもらえるように、したいと現在思っています。それだけが心残りです。父は生前色々な人にも迷惑もかけた事も事実です。しかし状況がよかったときは面倒を見た事も事実です。いざこちらが色々不利な状態になると、周りは薄情にも離れて行きました。父は好きじゃないけど、いくらなんでもというのがあります。せめて親族が味方についてあげなければ、何のための人生だったかを考えてしまいます。生きていくのは難しいけど、父には子供としてはすまないと思っています。なんとか今後の努力で成果を出したいと思います。

60歳    高齢で死去した祖母の葬儀は「家族葬」で行いました、 

高齢で死去した祖母の葬儀は「家族葬」で行いました、 

90歳近くになった祖母を無くして「家族葬」の葬儀を行いました。
葬儀の手順としては、亡くなった病院で医師の死亡診断をうけてから、其の晩は遺体を自宅まで運んで、自宅で仮通夜を行ないました。 その間に葬儀に関する色々なことを取り決めましたが、まずは身近な人への連絡と同時に、市役所へ死亡の通知(死亡届)と火葬場の日にち、時間の手配、其れに当然葬儀社への葬儀準備の手配、費用と葬儀場の手配、など行いました。 葬儀社は加入している農協関係のところであり費用も安く抑えられ、葬儀場は葬儀社の提携している所で近所のところに有ったことで幸いしました。

次には、お坊さんやお寺の手配ですが、我が家では先祖伝来のお寺は東北の田舎に菩提寺がありますので、地元の同じ宗派の僧侶を手配しましたが、その際、本通夜と本葬儀のさ際の読経をおねがいしたのです。 その後、仮通夜から本通夜、本葬儀、其れに火葬場までと、一連の流れで一周忌までを合せて行いました。

ところで、葬儀と告別式についてですが始めは、一般葬もなども考えましたが、葬議場の係員の話だと、やはり金額的には家族単位になって小規模のなるため、金額的には人数によってきまりますがやはり低予算でできるということです。 ただ、祭壇やお飾りについても実際に世間で言われているようにそんなに差異は無いといわれますし、結局は低予算で行える一応は「家族葬」と言う形にしました。 その後、一週間ほど過ぎて檀家寺である地元のお寺に、僧侶にお経を詠んでもらいながら、代々の墓地へ埋葬しました。

尚、我が家では「家族葬」という形で行いましたが、一般には葬儀は故人の友人や其の知人と最後のお別れをする儀式のことで、そして葬儀に続いて会葬者の人々が全員で火葬場まで見送るものでした。 しかし、今時では会葬者が火葬場までは行かないようになり、葬式と告別式がほぼ同時に行なわれますから、参列者は本葬儀に参加することが多くなっているようです。

ところで、現在の通夜や葬儀の形式についてですが、当方で行った家族や身内を中心に行った家族葬、即ち、密葬のような形式の他にも、世間で普通一般に行なわれるのは一般葬、そのほかにも偉い方や有名人などの特別葬、例えば市民葬や会社葬、などの特殊な葬儀も有るようです。

40歳男、家族葬だからこそ家族愛が感じれました!

私は今、現在40代男性なのですが去年、母親を亡くしました。まだ70歳と言う若さでした。母親は60歳と還暦になった頃ぐらいから体調を崩し、そしてやがて病気になりました。いわゆる癌でした。私は兄弟がいており、弟が一人います。弟は早くに結婚した為に子供も二人おり甥と姪がいます。私もまた結婚はしていたのですが子供はいなかった為に夫婦のみでした。そして、去年母親を亡くした際に私達は残された父親と私達夫婦と弟夫婦とその子供たちによる家族葬をしました。家族葬とはいえ、親戚などで葬儀に来たいと言う方たちなどには来ていただきました。家族葬と言うだけあって少人数の葬儀となりましたが、母親をしっかりと送ることが出来て本当に良かったです。元々、母親は亡くなる前から家族葬を求めており、そきて私達もその意志を通したのでした。会館をお借りし、そして葬儀屋さんに葬儀の進行を行って貰いしめやかに葬儀をすることが出来ました。家族葬とあって、特に細かなお焼香の順番なども決めずに済んだので、そういった面では昔と違い揉めるようなこともなく安心して葬儀を行うことが出来ました。勿論、また母親もそれを望んでいたと思います。火葬場では骨になってしまった母親を見たときは本当に悲しかったものです。もう、母親を2度と見ることが出来ないと思うと、物凄くやるせない気持ちが込み上げて来ました。そして、火葬も終わり再び会館へと戻ってきて、夜は家族のみで食事をしました。他人とは違い母親とあって誰も多くは語りませんでした。ただただみんな静かに食事を取っていました。本当に家族葬だからこそ、母親を思う気持ちをひとつにすることができ良かったと思っています。また、家族葬だからこそ改めて家族との絆や大切さなどを確認することにもなりました。以後、それからは母親の供養のたびに残った家族で時折集まることにもなりました。母親のおかげである意味また家族との絆も今後より深まっていくと思います。

33歳女 しっかりと最後のお別れができた

33歳女会社員です。私が30歳の頃のことでした。実は専門学校を卒業してからずっと地方で働いていて、30歳になったら地元に戻ってきたいという気持ちがありました。その思い通り、30歳になって地元に戻りました。新しい就職先でも最初はうまくいっていたのですが、体調不良で休職しそのまたた早期退職しました。しばらくして祖母が他界。タイミングをみたかのようにいきました。私は両親が共働きだったので、祖母に育てられたも同然。幼い頃から祖母とずっと一緒にいました。祖母は教養を受けたことがく、炭鉱出身で気性が荒い人でした。子どもである私に対して、子ども扱いせず衝突する日も多かったです。そんな祖母は、わたしたちとは一緒に暮らさず、祖母は一人で住んでいました。毎日祖母にお金を借りにくる人もいたり、祖母もわがままだったのでよく人の悪口を言っていたし、近所の人からよく思われていないのも知っていました。そんな祖母だったこともあり、祖母がなくなっての葬儀は、家族だけですることに決めました。祖母を知る人も早くになくなっており、親戚もよくわからなかったのも理由のひとつです。また、近所の人からよく思われていなかったこともあって、亡くなったことは未だに言っていませんし、新聞にも掲載しませんでした。ましてや、葬儀場の看板にも亡くなった方の名前を書くところがありますがそこにも書かないでくれとお願いして、異例ではありましたがひっそりと葬儀を行いました。普通の人から見たら「かわいそう」と思われる葬儀だったかもしれません。亡くなったことを誰にも知らせずに身内だけでお別れをしたこと。けれど、きっと祖母も“そうしてくれ”と言う気がして、家族だからこそわかるものがありました。祖母が息を引き取るときも、私たちが病院を去って寝静まった頃だったし、最後の最後まで心配かけたくないという気持ちがあったのだとわかりました。家族葬には、父と母、私と兄、母の姉妹の夫婦2組と父の兄弟夫婦1組が参列しました。祖母は炭鉱に勤めていたこともあり、しっかり貯金をしていたようで、じゅうぶんすぎるくらいの財産があり、葬儀も墓も祖母の貯金でまかなえました。広い会場で家族葬にはもったいなくも思いましたが、本当に祖母のことを思う人しか集まっていなかったので、あたたかい葬儀になりました。身内しかいない葬儀だったので、私も大声でなき遠慮することなく最後の言葉を掛けることができました。一人一人祈る時間も十分にあり、しっかりと最後のお別れができました。家族葬は、身内だけの小さな会にはなりますが、コンパクトで準備もしやすく、お別れもしっかりできると感じました。たくさんの人を呼んだからといって本当に故人が喜ぶかはわかりません。故人の人柄や、喜ぶことを考えるのが大切だと感じました。

47歳 男性 祖母の葬儀

40代男性です 98歳で祖母が亡くなった時に家族葬をしました。
家族葬を選んだ経緯ですが もともと長い事 病院で入院していて そのまま寝たきりになり
最終的にはアルツハイマーになっていました。
そういった祖母のような方は 高齢化社会ですし沢山いらっしゃると思いますが 終末期医療
または 介護の期間が長いと世の中での人間関係はほぼ無くなってしまいます。

祖母の兄弟も既に介護で動けず 頭もしっかりしては居ない中で 友人知人も既に他界しているか
寝たきりの状態なのです。

ですので家族葬を選びました。

お葬式自体は お寺にて頼みました。
お願いしたお寺では 49日までは 寺内の小さなお骨入れで毎日 お経を唱えてくださいます。
そして それ以降に実家のお墓に入る事になります。

個人的な感想ですが とても良かったと思いました。
最後のお別れとして 大きなお葬式も立派なものだと思います。
しかし 今回のような家族葬では 皆が祖母をよく知っている血縁です 付き合いで出席している
方は誰もいませんので 常に生前の祖母の事を話していました。
それは 最後のお別れとしてとても和やかな平和な葬儀だったと思います。
そして 私の番が回ってきたときもその方がいいなと思います。

そして葬儀場に勤めている知人がいうには 最近の葬儀の多くが家族葬になっていると聞きました。
多分 皆さん 感じている事は似ているのかもしれませんね。

最後のお別れの時 沢山の人に囲まれ 家族は 出席してくださっている方々への配慮に常に気を
配り続け葬儀が終わるころにはやっはり疲れてしまう。
どちらがどうとゆう事ではなく家族葬は寂しいイメージもあるかもしれませんが 故人との最後の
お別れとしてゆっくりと気が進む中でお別れをすることが出来ます。

子供のころ 夏の暑い日に祖母に手をつないでもらい買い物に行った日の思いは今も残っています
厳しく叱られたことも思い出として残っています。

最後に 祖母としても喜んでくれたのではないかと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

10代女 祖父の家族葬について

初めまして。私は10代の学生です。
10年以上前に祖母が亡くなりました。心臓病で60代というまだ早い死でした。
正直、私は幼かったので祖母の記憶は断片的にしかありません。それでも優しく愛情深い人だったのを覚えています。
祖母は家族葬ではなく葬儀は仕事関係の方や兼ねてから親交があった方などが参列し祖母を見送りました。それから数年後祖父が亡くなりました。自殺でした。
祖母のことを大変愛していた祖父は祖母の死に悲しみに暮れて最後は鬱状態になり自らの命を絶ちました。自殺ということもあり、家族葬で祖父を見送りました。その時も小学生高学年だった私は家族葬の意味や、自殺についてなど詳しいことはよくわかっていませんでした。ですが、何故祖母の時はたくさん人がきたのに祖父の時は家族だけなんだろうと純粋に疑問だったのを覚えています。今思い返せば、自殺だからといって家族葬にしなければならないのかという疑念があります。確かに、自ら命を絶ったわけですがきっと最後に会いたい人が祖父にもいたはずで、祖父に会いたかった人もいたはずなのです。その機会を設けて上げられなかったことは後悔しています。どんな理由があれ、大切な人を失った直後は気持ちが不安定ですし身内だけで送り出そうという決断に至ってしまうのも分かります。ですが、後々にやはり家族葬にするべきではなかったのかもしれない。と後悔する方も少なくないと思います。もう会えない故人とのお別れが悔いのあるものとなってしまうのは実に悲しいことです。家族葬に決める前に本当にこの選択で後悔しないのか、もう一度よく考え直すのも大切だと思います。当たり前ですが、お葬式というものは一生に一度しかない永遠のお別れなのです。故人にとっても故人を大切に思っている人にとっても今までの思い出に浸り別れを惜しみ感謝を述べられる場を作ることが、遺された人々の使命だと私は思います。家族葬にすること、もう一度よくご家族で話し合ってはいかがでしょうか?

57歳女 母が亡くなり家族葬二に 家族の愛に見送られて

私は東京在住の50代の主婦です。11年前に同居していた母を病気で亡くしました。私の母はもともと新潟に住んでいましたが、父を介護の末亡くしてからは気落ちして、一人にしておけなくなり、話し合って孫たちのいる我が家に上京することになったのが同居の始まりでした。私には当時まだ手のかかる子供たちが2人おり、母に同居してもらうのは正直本当に心強く、お互いのために良いと思い、迷わず来てもらいました。母は、色々なことによく気の付く人で、父と会社を経営していたこともあって、顔見知りでない人にも丁寧にソフトに対応できるタイプでした。ゆえに、知らない土地でもちゃんとやっていける人だという確信が私にもありましたし、孫もいるから気も紛れていたようでした。上京した当初上の女の子は幼稚園の年中、下の男の子は乳飲み子でしたから、私としてはいくらでも手助けの欲しい時だったのです。私は上の子の幼稚園の送り迎えなど、幼稚園の活動でばたばたしていたので、下の子はほとんど母にお任せ状態でした。それこそ、我が子のように一生懸命育ててくれました。お話することが大好きだった上の娘は聞き上手でほめ上手なお祖母ちゃんが大好き。幼稚園や学校から帰るとまずはお祖母ちゃんに「あのね、今日ね・・・」と目を輝かせてお話していたものでした。母も嬉しそうにニコニコしながら聞いていた顔はいまだに忘れられません。下の男の子も、段々動き回る年齢になってきても、大好きだった「働く車」のビデオや「童話」のビデオを見る時はお祖母ちゃんと一緒に、一緒に歌ったりお話したりと・・・ずいぶん母も大変だったろうな、と思っていると決まって母が口にしていた言葉が「お父さんがいなくなった後の人生はあなたたちのために使いたい」という言葉でした。旅行でも習い事でもなく、それこそ、わたしたちだけのために時間を使いたいと。胸がつぶれそうな思いに駆られながらも、それならそれで家族で精いっぱい楽しもう、という発想に変えました。家族で外食したり、家族で旅行したり、幼稚園や学校の行事にも参加したり。こういう環境の中で育った子供たちです。母が病気で亡くなった時には一言では言い表せない悲しみの中に突き落とされました。しかし、わたしたちだけのために最後の時間を過ごしてくれた母に安らかに逝ってもらうために今度は家族でしてあげられる送り方をしてあげよう、ということから「家族葬」の選択に至ったのです。後悔はありません。無駄なく、家族のために生きた人には家族だけの暖かい雰囲気の中で送るのが一番でしたから。弔慰金を頂いた親戚には後日報告方々会食の場を設けましたが、送るときは家族だけで思いっきり泣き、思い出話が出来最高だったと思っています。これからは形にこだわらない家族だけの葬式は時代にあっているのではないかと思うのです。